これは、私の話です。
でも、もしあなたが──
「ちゃんとしてなきゃ」
「誰かの期待に応えなきゃ」
「こんな自分じゃ、まだ足りない」
そんなふうに思いながら生きてきたなら
これは、あなたの話かもしれません。
ずっと完璧を目指して
ずっと「いい人」でいようとして
ずっと“誰かのため”に頑張ってきた。
でも気づいたら、
“自分”だけが取り残されていた。
そんな50年を経て
私がもう一度、“可愛い”を名乗れるようになるまでの記録です。
「完璧じゃなきゃダメ」
親に、兄弟に、夫に、子どもに、友達に、職場に。
そして何より、自分自身に。
とにかく“ちゃんとした人間”じゃなきゃって、ずっと思ってました。
それが普通。むしろ当然。
誰かに弱みを見せるなんて、甘え。 人に迷惑をかけるなんて、私、最低。
そうやって、生きてきた。
でも、【本当の私は…?】
そんな問いすら浮かばずに突っ走ってきた50年でした。
透明な油染みみたいな呪い
今思えば、ちゃんとした完璧な私でいなきゃ!っていう思い込みは
透明な油染みみたいなもので。
自分じゃ見えない。透明だから。
でも、ずっと体中にまとわりついてて、 なんかベタついて不快だけど「これが普通」だと思ってた。
『私、こんなもんだし』『まだまだ努力が足りないし』
…そう思って、さらに自分を追い込んでた。
四六時中、頭の中は“反省会”。
寝る前に、今日できなかったことを数えて。
もっとちゃんとできてたら…って。
みんなに好かれる為に
完璧な母、完璧な妻、完璧な嫁、完璧な職場の人──
そう在ろうとすれはするほど、逆方向に進んで
更に自分を苦しめてた。
私の人生、爆発の繰り返し
自分のダメさ加減を隠す為に必死だったから
人生の中に何度も“爆発”がありました。
親への反抗ができなかった子ども時代は
謎の腎臓病になって、学校に通えなくなった。
思春期は、プツンと糸が切れて家出。
学校にも行かずに、行方不明扱いされたこともある。
先生も、友達も、近所の人も… みんなに“やばい子”って思われてるのが、分かってた。
実はやばい子なくせに、やばい子なりに挽回しなきゃ!なんて思うから
更に、自分を追い込むし、そうできない自分を責め立ててた。
結婚したらしたで、今度は“完璧な妻・完璧な母”を目指してさらに重装備。
プチ家出や短期間の別居なんかもした。
でも、どれも“ただのガス抜き”。 根っこは何ひとつ変わらなかった。
25年前、夕陽に気づけなかった日
これは、子どもがまだ小さかった頃。
仕事帰りに、すっごく綺麗な夕陽が出現した夕方。
沈むまで、どうしても見てたい!って一瞬思ったけど
でも「夕飯の支度しなきゃ」って、立ち止まれなかった。
そのときは、それが当たり前だった。
でもね、今でもあの夕陽の色、ちゃんと覚えてる。
25年も前なのに。
あのとき、ほんとは少しだけ、ただ眺めたかったんだよね。
10分、自分に時間をあげたかった。
でも、その10分すら自分に許せてあげられなかった。
なんで?
自分の時間をもつことが、そんなに悪いことだった?
あ~…あの時に私の本音が、押さえつけてくる思い込みに精一杯抵抗して
「このままでいいの?」って警告をしてくれてたのにって
今になって、やっと思えてる。
“優しさ”の仮面の下で
離婚してからは、シングルマザーとして 「絶対に弱音を吐かない母」になった。
子供達に不自由で、寂しい思いはさせない。
世間に“バツイチで可哀想な女”って思われたくない。
離婚した事は間違いじゃなかった!って自分に言い聞かせなきゃって
人一倍、働いて、家事して、子どもの前では常に笑顔。
誰にも言えなかったけど、本当に、本当にしんどかった。
ダブルワークの夜職の帰り道に月を見ながら
少し気持ちを落ち着かせてリセットさせるくらいが精いっぱい。
朝、時間が無くて夜中に洗濯物干しながら
突然、嗚咽が止まらなくなった事もあったけど
それが、なんでか?までは考えずに
朝になれば、また普通な顔して日常を繕ってた。
可愛いを封印してたなんて全く気づいてなかった
ずっとね、「強くてちゃんとした私」が当たり前だと思ってた。
本当は、可愛くしてたい気持ち、ずっとあったのにね。
強さに固執してた。
周りにも、そう見えるように武装してた感じ。
武装してたら、誰も寄り付かないの。
恐いもん!
だからね、ママ友も一人もできなかった。
でも、これも「私が完璧じゃないから…」っていう思想にすり替えて
さらに、完璧な自分を作らないと!に傾倒していってたし
ひとりぼっちの自分でも、全然大丈夫!
むしろ、一人の方が気が楽だし!って、自分を追い込んでいった。
もう、こんなだったから「これが好き」ってものは、どんどん遠ざかって
自分の「好き」を感じなくなったら
生きてる実感って、すごく薄くなるんだよね。
でも気づいちゃったんだよね
今さらだけど。
私、ずっと“可愛い”を諦めてた。
ほんとはずっと、私らしく、可愛くいたかったんだよ。
人から見てどうかじゃなくて、 自分で「あ〜これ好きかも」って思える感じ。
昔の私は、 そういうものを全部、置いてきたんだなって気づいた。
だから、今は言っちゃう。
いい年してみっともないって言われても
正直言うと今もまだ、ちょっとハラハラもする事もあるけど
アラカンが可愛いって言ったって、いいじゃん!って。
あの頃の私に、「可愛くしていいよ」って、 言ってあげたくて。
そして、そんな風に思えた今の私だからこそ
ずっと“誰かのため”で生きてきたあなたに
この気持ちを届けたいって思ったの。
「等身大の私らしい可愛い」
無理に若作りとかじゃない。
美魔女でも、ナチュラルおしゃれでもない。
年相応でもいいし、そうじゃなくてもいい。
でも、“今の私”が「これ好き」って思えるものを身にまとって
わたしの本音がワクワク楽しいって思える私でいる事。
そんな“可愛い”を、私はもう一度育てたいと思ってる。
誰かの期待に合わせた私じゃなくて。
“私がちゃんと好きで選べる私”で、これからを過ごしたい。
同じように感じたことがある人がいたら、 きっと一緒に歩けると思う。
ひとりぼっちなんて、全然平気!って意地を張ってた、あの頃の私に
仲間がいたよ~!!って伝えてあげたい。
もしあなたも
“私らしい可愛さ”をもう一度育ててみたいと思ったら──
この場所で、一足先に可愛いを作りながら、いつでも待ってます。
居場所が見つけられずに孤立しても、強がってた私自身が安心できる場所を作りました。
誰にもジャッジされない場所。
ちゃんと自分に戻れるようになる場所。
そして、「私もここにいていいんだ」って、心から思える場所です。
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