子連れ離婚 小学4年【次女編】その時の事や記憶の手繰り寄せ

子連れ離婚小学生のランドセルシンママとしての事

小学生以下の子供達は、親の言いなりに行動を共にするしかない。

自分の意志を通すには力がなさすぎて、生きていくには大人の選択に従うしかないから。

 

これが、離婚をした事の最大唯一の子供達に対しての負い目です。

 

DVがあったり、仲が悪い両親のギスギスした環境で育つより、ずっといい。

とかなんとか言うけれど

確かにそうだと思うけど

良いも悪いも、正解か不正解かも、その後の展開が吉なのか凶なのか

先の事は誰にも分からないし、この選択が絶対に間違いなく幸せな未来に繋がっている

なんて事はあり得ないわけで。

 

大人の選択がもしかしたら間違っていて、子供が選びたかった選択肢の方が長い目で見て

先々、吉と転じるかもしれない事だって絶対にないとは言えないわけで。

それなのに、子供達は心情や希望がどうであれ、大人に導かれるままの環境に身をゆだねるしか生きるすべがない。

 

責任と自由のからくり。

大人は自由を得るかわりに、責任を果たし

責任を抱えきれずに、自由を使いこなす事ができない子供達は選択の自由を制限されてしまいます。

自分の意見だってありながら、言える力を持てない離婚当時小学4年生だった次女のお話です。

スポンサーリンク

ピックアップ

年齢や性格によって感じ方も受け止め方も違うから難しい

【子連れ離婚の気がかり事】子供の年齢と胸のうち

離婚を告げた時の記憶が呼び戻せませんでした

次女、三女には離婚が決まって家をでる数日前に二人同時に言いました。

お父さんとお母さんは別々に住む事にしたよ。

と切り出した事は覚えていますが、次女と三女がどんな反応で、何を言ったのかが全く記憶にありません。

それまでの家の中の雰囲気に気づいていたのか

それとも青天の霹靂だったのかは分かりません。

ただ、今までの生活からガラリと環境が変わるという「仕打ち」の宣言をするのは

罪悪感に苛まれる、気が重い行為です。

何度もタイミングを計っては逃しを繰り返していた事は覚えていますが

実際の記憶がなく…ただ次女も三女も、駄々をこねて嫌だ!と騒ぐ事はしませんでした。

 

唖然としすぎて言葉が出なかったのか

言っても無駄だと諦めていたのか

わたしを困らせない為に気を使ってくれていたのか

これも全くわかりません。

 

ただ、黙って母と行動を共にしてくれた事に本当に助けられたし

1日1日を過ごす勇気だったし

まともな生活を維持するための砦だったし

人として成長させてくれた、本当に偉大な存在として人生の恩人だと思っています。

この子は難しい子だと言われていた次女

次女は、いわゆる癇の虫が強いタイプでした。

不安感が高くなったり、思い通りにならなかったりすると

まだ、言葉がでない時期は甲高い声で奇声を発して泣きじゃくるので

外出先では、不安にならないように、できるだけ感情が乱れない様に

状況を把握して先回りして、フォローするのがクセになっていました。

それでも食い止められない時もしばしばで…

この子の癇の強さはストレスで、そのストレスの原因は私だと思い込んで悪循環

子供に何か問題があると、自分の接し方に問題があるからだと自分を責めてしまいがちです。

正解なんて無いも同然なのに常に何が正解なんだろう?ばっかりを探していた気がします。

 

イヤイヤ期真っ最中の頃の事

当時、自然育児をテーマにした育児サークルに入っていて

月一回の集会に出席した時の事。

 

部屋の入り口に並んでいたスリッパの乱れを直したがった次女。

じゃあ、直そっか!と一緒に直し始めた所に…

何人かが出たり入ったりして直したスリッパが、また乱れます。

当たり前です笑 出入口なんですから(;’∀’)

のとたん!

子供の癇癪

キィーーーィーーっ!!

と奇声を発して大泣きです。

もう、こうなると何をしても止まりません。

気持ちが落ち着くまで、なだめたおすしかない。

その日は身も心もクタクタになって帰途についた事を覚えています。

こまったちゃんほど庇いたくなる母心

こんな事が度々あったので

同居していた舅や実家の義母に『難しい子だ』と言われ続けて

遠回しに『母親の接し方に問題がある』と言われている気がして悩みに悩んだ時期でした。

 

とどめは、家を建てる際に方角の鬼門などを教えてもらう為に行った有名な占い師の言葉。

『この子は思春期の頃は特に気を付けて。』と暗に自死してしまうような意味合いの事を言われて

【難しい子】のレッテルが最強レベルまで引き上げられてしまいました。

それでも、喜怒哀楽が分かりやすくて天真爛漫な笑顔は

スポンサーリンク

難しい子かもしれないけど家族を結び付けてくれているカスガイのような存在だと私は思っていました。

実際、大人になって上京して離れた場所に住んでいる今も

彼女がカスガイとなって繋がれている部分がとても大きいです。

離婚後の引越し先にいたAちゃんとのトラブル

離婚後、引っ越したアパートに次女より一つ上の女の子Aちゃんがいました。

登校も一緒だったので普段からよく遊ぶ仲になっていきました。

 

母の嗅覚で、『この子は危険!』と感じたんですが…

早速、事件が起きました。

 

当時『たまごっち』の第2ブームが到来。

ある日の事。

次女 『たまごっち壊れてる(泣』

『Aちゃんのと私のと入れ替わってる…』

どうやら、たまごっちの成長度合いの違いと

貼ってあった小さなシールを剥がして貼りなおされている痕跡から発覚。

わたし『Aちゃんに言ってみた?』

次女 『言えない』大泣き…

子供の泣き顔

迷いました。

せっかく仲良くしてもらっている子に疑いの事実を突きつけていいのか?

親が出て行っていいのか?

でも、我慢できませんでした。

『泣き寝入りしなさい』の姿勢は見せたくなかったし

出しゃばりだろうが、うちの子に何かあったら黙っとらんよ!

を示したかった。Aちゃんにも我が子にも。

ただ、伝え方は上手にしないと『ヤベー家』になるので気を付けないと…と

意を決して次女を連れ、Aちゃんの家へ。

 

ピンポンを鳴らすとちょうど、Aちゃんが出てきました。

たまごっちを見せながら

たまごっちの中の子の種類が違う事。

剥がして張り替えたシールの事。を説明し

『こっちが、Aちゃんのだよね?』

すり替えられた壊れた、たまごっちを差し出しました。

『…うん』

『うちのたまごっち返してくれる?』

のやり取りをして、たまごっちの交換は子供同士でさせました。

その間中、Aちゃんの親は一切姿を見せず(全部聞こえていたはず)

その後も何食わぬ顔だったので???と思いながらも

その家の方針か?と思いながら、この事件は終わらせました。

 

その後、疎遠になるかな…と様子を見守っていましたが

これ、ベッタリすぎだろ…っていうくらいに逆に急接近

女子同士の仲良しこよし危険区域に突入しちゃってるんじゃないかな~

と気をもんでいたましたが、しばらくは何事もなく仲良くしているようにみえました。

が!

この後、親だったら一度は心配する『いじめ』へと発展していきます。

これも、Aちゃんがらみ。

母子家庭の子供はいじめられやすい?子供だろうが舐め腐る奴は許さねー!

 

もう、さすがに縁を切った方が。と思いますが

彼女とは脈々と縁は続いていくのです。

この辺りは長くなりそうなので、又お話させていただきますね。

子連れ離婚 小学4年【次女編】その時の事や記憶の手繰り寄せのまとめ

小学生でも中学年生とも言われる、3年生~4年生。

小学生の時期って選択の自由があるけど、それにまだ気づききれていなくて

でも、自我の成長過程の中で言葉に出来ない憤りやもどかしさを抱えて苦しんでいる

そんな時期かもしれません。

特に小さなころから感受性が強くて、親ながらひやひやしながらの日々でした。

 

でも、大きく荒れる事もなく

あの占い師さんに言われた【思春期】も打ち込める事に出会えたお陰で大きく変わった次女。

ここに、Aちゃんも大きくかかわって…。

この辺りも別記事で合わせてお話させてください。

最後まで読んで下さりありがとう( ◠‿◠ ) 

もう一手間のぽちっといただけると励みになります。

ブログランキング・にほんブログ村へ
色々なブロガーさんの
離婚や別離ブログを集めたページはこちらに
スポンサーリンク
この記事を書いた人

36歳で3人娘を連れてシングルに。
あれから十余年。
当初の記憶が途切れ途切れなのはなぜでしょう( ;∀;)
いよいよ、子供達も成人を迎えて肩の荷を下ろせると思ったのに
【母子家庭】の称号が外れたら外れたで様々に悩む事があると改めて気づいてアタフタ。
でもね。
あの頃より心は、かなり穏やかです
これは単に歳からくるものなのか?
感情の積み重ねの成長のおかげなのか?
途切れている記憶を掘り起こしたり振り返ったりしながら
心と未来を整えて迫る老後と終わりの準備を粛々と。

ばっちまをフォローする
シンママとしての事
ばっちまをフォローする
シンママの称号が取れたらただのバツイチ

コメント